井伊直孝を祀る米原の「直孝神社」

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 米原市 2015年9月4日更新

彦根市本町「大信寺 井伊直孝歯廟」

 今、彦根では「井伊直弼公生誕200年祭」が開催されている。幕末、開国の英断を行った井伊直弼公だが、政治家としてだけではなく、茶の湯や和歌など文化人としても一流を極めた直弼公の知られざる魅力が特別展や、彦根城博物館でのシリーズ展示で紹介され、市内各所ではユニークなイベントが12月23日まで続く。
 彦根といえば直弼ばかりが注目されるが、第二代の直孝や第一四代直憲に僕は興味を持っている。今回は直孝について少し記しておきたい。
 直政には二人の男子がいた。正室の子である直継と側室の子、直孝だ。直政の死後、直継が家督を継承したが、、慶長19年(1614)、大坂冬の陣の時、徳川家康は直孝を井伊家の大将に指名し、合戦後、直政の家督を継承するよう命じた。
 直継は、直政の領地のうち上野国(群馬県)三万石を分知され、安中藩主となった。よって、直孝が直政の家督を継いだとみなし、彦根藩井伊家では、二代と数えている。
 直孝の逸話は数々あるが、事跡はほとんど遺っておらず、彦根市本町の大信寺くらいのものだろうと思っていた。
 慶長5年(1600)、井伊直政が関ヶ原の戦功により佐和山城主となり、慶長8年(1603)、現在地を寺領として建立したのが大信寺だ。その後、元禄6年(1693)及び元禄14年(1701)と2回の彦根の大火により堂宇は全焼したが、幸い仏像・位牌・諸帳簿・掛図等は難を免れた。宝永6年(1709)江戸時代中期、井伊家の手厚い加護により、諸堂宇が再建され、今日に至っている。牛蒡積みの石垣は築城時のもので、400年。建物は300年の歴史を刻む寺である。大信寺は井伊家の菩提寺ではなく帰依寺である。彦根藩第二代藩主直孝は信心深く、直政の法事のたびに参詣し、自ら直政の像をつくり大信寺に安置した。また、第三代藩主直澄も直孝の法事には欠かすことなく参詣したという。

米原市番場「直孝神社」

 あまり知られていないが大信寺には直孝の歯骨を納めた歯廟がある。記録は残っておらず、その経緯は定かではない。肉体の一部やその人物に強く関係した遺物を特に「聖遺物」と呼ぶことがある。歯や髪も故人の供養や崇拝の対象として象徴的な意味をもっているのだろう。
 そして今回、僕は初めて米原市番場に「直孝神社」があることを知った。
 滋賀県神社庁のホームページによると「寛永20年の勧請と伝えられる。井伊直孝公を祀り、古来溝尻神社と称していたが、正和49年、直孝神社に改称された」とある。御祭神は「稜威直孝彦命」。彦根の井伊神社の祭神である。
 8月26日(水)午後7時から彦根商工会議所で「彦根ヒストリア講座」の第4講が開催される(TEL: 0749-22-4551)。テーマは『関ケ原の合戦と大坂の陣 ─彦根を築いた二人の武将─』。二人の武将というのは、井伊直政と直孝だ。講師は青木俊郎氏と谷口徹氏。
 実は僕に「直孝神社」のことを教えてくれたのは谷口さんだった。寛永20年、井伊神社からの勧進だろうが、その理由を聞いてみたいと思っている。

風伯

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