路上観察・始めました 5
不可能な落書き

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 長浜市 2015年4月20日更新

 長浜市大宮町、大通寺に向かう通りにある駐車場に隣接するブロック塀の向こう側に白壁の蔵のような建物があった。中心市街地にぽっかりと明るい空き地があり、有刺鉄線も懐かしい。白壁に落書きがしてあった。
 「落書き」は、語源を辿れば政治・社会や権力者などに対し、批判や社会風刺を述べた匿名の文書の「落書(らくしょ)」にある。人目につきやすい場所に落として人に拾わせたため、この名がついたという。この落書が家の壁や塀にも貼り付けられ、現在の「落書き」の意味になった。
 僕が一番好きな落書きは、今はもう消されてしまったが近江鉄道のベンチにあった「走りの速い人好きです」という切ないそれだった。昔、駅にあった伝言板も趣があった。特定の人にだけ伝える書き方と読ませ方があった。そういう切なさや趣は交換ノートの古い作法にも見られた。落書ではなく、そういう落書きが僕には好ましいものに思えた。
 白壁の落書きに気づいたとき、僕は久し振りに期待した。当時は意味を持っていただろうが、現在では解読不明の代物になっていた。ただ、その落書きの位置には不思議を覚えた。とにかく高い位置にあり普通の状態では不可能な落書きなのである。
 いろいろと考えてはみたが、手がかりが欲しいと思った。想像は飛躍するだけで、面白くもない。隣接する構造物があったはずで、落書きをする理由もあったに違いない。路上観察の醍醐味は、その風景からしか判り得ないその場所の歴史を一瞬垣間見ることにある。想像するのは楽しいが、想像では辿り着けない面白さがある。圧倒的に知識が不足している。

 

小太郎

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