『カロムロード』18年目の邂逅 1
ヴォーリズさんのクロックノール

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 米原市 多賀町 2015年1月28日更新

多賀「里の駅」にて

 1月10日、僕は多賀町一円にある一圓屋敷にいた。江戸時代の庄屋が安政4年(1857)に建てたもので、平成20年に所有者の一圓六郎氏がNPO法人彦根景観フォーラムに譲渡。現在は同団体と、地元住民らが組織する多賀クラブとが結成した団体「多賀『里の駅』」が地元の町おこしの拠点として活用している。僕は、ここで昭和天皇が幼少の頃にお遊びになった「クロックノール」の話をすることになっていた。
 昨年9月『昭和天皇実録』が公開になった時、ネット上では謎の遊びとして話題になったクロックノールだが、このゲームをした人は案外多いのではないだろうか。「クロック」はカロムと同じく明治末期に日本に入ってきたボードゲームで、カロムの歴史に興味があれば必ず出会うボードゲームなのだ。「闘球盤」という名前で普及した(昭和天皇がお遊びになった「クロック」)。『カロムロード
』(サンライズ出版・1997年)にも、闘球盤をイラストで掲載している。また、「クロッキンクール」という名前でクロックを紹介している。全てが聞き取りでの取材の時代だったのだ。

 また、『カロムロード』には、こんなことも書いてあるのだが要約してみる……実に面白い。

「ヴォーリズさんはたくさんの方と自宅で過ごされました。YMCAの活動を通してアメリカのゲームをして遊ばれたのは本当です。近江の各地で宣教の一環としてそのゲームは使われたりしていたのでしょう。私もヴォーリズさんがカルムをしておられたところに居合わせたことがあります。カルムは彼が近江に持って来られたものです。チェックのデザインがあるもので、駒は4色ありました。近江八幡で作ろうとされたのですが無理だったので、彦根で作ることになりました。そうです。カロムではなく、私たちはカルムと呼んでましたね」(当時 一柳会館 福井清一さん)。

1988年に放送された関西放送のテレビ番組『アタック600』で、「滋賀県にはウィリアム・ヴォーリズという人がいました。ヴォーリズ氏は明治38年に宣教師として来日し、彼は滋賀県の各地にYMCAを建て、キリスト教だけでなくさまざまな西洋の文化を近江の地に伝えました。そして彼が米原に建てたYMCAの部屋の写真にはカロム盤が映っていました」というナレーションがあった。

旧米原町にYMCAができたのは1909年、明治42年3月のことである。「鉄道YMCAを開設し、機関車とジャンクション(接続駅)に働く鉄道青年たちの霊魂、知識、身体の向上を目指して伝道教化活動を展開したのである」(『近江に神の国を』より)。

米原の鉄道YMCAの部屋。カロムではなく、クロックノールだということが判った。当時は見えなかったが、確かに円盤のラインが見える。ヴォーリズさんが持ってきたクロックノールである。写真:『カロムロード』より

 一圓屋敷での話が終わり、コンピュータやスクリーンをかたづけていた時だ。僕は一人の男性と出会うことになった。吉田与志也さんという。
 「話は終わってしまったのですね。杉原さんが話されるというので来たのですが。カロムロードに掲載されていた米原の鉄道YMCAのことですが、あの写真に写っているのは、クロックノールだということが判りました。それを伝えに来たのです。ヴォーリズさんの支援者向け会報『Omi Mustard-Seed』に、米原鉄道の記事がありクロックノールのことが書かれています」と……。 次回をお楽しみに。

クロックノール(闘球盤)は、逓信舎に展示しています。
TEL: 090-3267-7712(杉原)

店舗等の情報は取材時のものですので、お訪ねになる前にご確認ください。

編集部

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