海を渡った毛糸に懐いをよせて

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2015年1月20日更新

 私はときどき大切にされてきた本を譲り受け、その本を大切にしてくれそうな別の誰かに手渡す仕事をしている。商いにしたいのだが、まだまだ程遠い。
 ひょんなことで、彦根城にほど近い、とあるお宅にお邪魔することになった。蔵書を拝見していると、古い洋書がある。聞けば、お祖父さんの代、アメリカに住んでいたという。書架に並んだ背表紙を眺めているだけで落ち着く。
 こんなものもありますよ、と開けて見せてもらった箱には、きれいな毛糸が詰まっていた。サーモンピンク、深紅、エメラルドグリーン、あざやかなオレンジ。当時高級だっただろう、純毛の毛糸だ。あんまり状態がいいので、80年も前のものとは信じられないような気持ちがした。帰国する際、「トロンコ」に詰めてアメリカから持ち帰ったものだそうだ。トロンコはトランクのことで、アメリカに渡った人たちのお洒落な発音なのだろうか…。トロンコで海を渡った毛糸は、愛おしくなった。
 現在の彦根市八坂、須越、三津屋各町のあたりは、かつて磯田村といった。明治29年の大水害で、琵琶湖沿岸に位置する磯田村は甚大な被害にあった。それ以降、仕事を求めて多くの村人たちがカナダやアメリカに移り住んだ。大正の終わり頃には、特に八坂は「米国の地を一度も踏んでゐないものはない」と言われるほど多くの人が移住し、「アメリカ村」として有名だった。

「トロンコ」。これに家財を入れてアメリカから運んで来た。

 毛糸を買い求めトロンコに詰めて持ち帰ったその方のお祖父さんもやはり八坂の出身だった。「お寺の次男坊だったんですけれど、お母さんが継母で、丁稚に出されてしまって。何年か大阪で働いた後、知人を頼ってロサンジェルスへ行ったと聞いてます。自分で商売起こすまで、ひとの3倍働いたって言っていました」。
 お祖母さんも同じく八坂出身。親同士が知り合いだったこともあり、すでにアメリカで働いていたお祖父さんと「写真結婚」し、船でアメリカへ渡ったそうだ。「アメリカに嫁ぐから、嫁入り支度が省けるでしょう。5人姉妹だったので、親は喜んだんですって。言葉も通じない外国で、知らない人と結婚するなんて、すごい時代よねえ」。
 「写真結婚」というのは当時移民の間に定着していた方法で、アメリカへ渡った男性が故郷へ花嫁探しの依頼をし、依頼を受けた代理人が女性を探し、文通やお互いの写真を交換し、その後結婚が決まれば、仮祝言をしたのち妻が渡航したという。

当時アメリカで使っていたかばんや洋服。

 写真を見せてもらうと、お洒落な洋服やドレスに身をつつむ姿は溌剌として、苦労など感じられないほど生き生きしているように思えた。
 娘の女学校入学を考え、一家は昭和7年頃、彦根へ戻る。以来毛糸は、毎年他のものと一緒に虫干しし、防虫剤を入れ直してきたという。その方も、お祖母さん、お母さんに習って、毎年の手入れを引き継いできたのだそうだ。
 私の祖母は滋賀の人ではないが、カナダで生まれた。今年で85歳になる。毛糸を眺めていたら編み物が好きな祖母のことが思い浮かんだこともあり、貴重な毛糸を、引き取らせてもらった。
 祖母に、アメリカ大陸からトロンコで海を渡り、長い時を経て私のもとへやってきた、この毛糸を渡してみようかと思う。もう一度カナダへ行きたいと言っていた祖母は、生まれ故郷を思いながら、何を編んでくれるのだろう。

参考文献

  • 新修彦根市史 第九巻 史料編/滋賀県百年年表/彦根市史下冊

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