ライトアップは新しい命を建物に与える

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2014年8月13日更新

 滋賀中央信用金庫は平成16年(2004)7月20日に彦根信用金庫と近江八幡信用金庫が合併して発足、近江八幡市桜宮町に本店、彦根市中央町に本部を置いている。
 銀座支店は銀座町の交差点の角にあり、建物は平成23年(2011)10月28日、国の有形登録文化財、同年12月20日、景観重要建造物に指定された彦根の近代化遺産で、大正時代から久左の辻のランドマークとして親しまれている。8月3日、合併10周年を記念し、まちづくりの一助にと建物のライトアップが始まった。
 彦根をよく知る人には「銀座町の交差点」というよりは「久左の辻」といった方が解りやすいかもしれない。銀座商店街・花しょうぶ通り商店街・リバーサイド橋本通り・登り町グリーン通り商店街の4つの商店街が接する信号のある交差点だ。
 午後11時までライトアップされ、色が変化するよう仕組まれている。彦根にいままで無かった夜の景観は、ちょっと素敵なのである。
 気になったので、建物の来歴を調べてみた。デビューは明治銀行彦根支店だった。棟札が残っており大正7年(1918)11月25日の上棟であることが判っている。明治銀行は明治29年(1896)名古屋に本店を置いて開業した金融機関で、昭和2年(1927)の金融恐慌、同5年〜7年の昭和恐慌で、昭和7年(1932)に破綻。その後、建物はさまざまに転用され、戦後は産婦人科医院として使われていた。昭和33年(1958)に彦根信用金庫が購入し、昭和34年(1959)7月から銀座支店として用いられている。
 大正の頃の彦根の金融事情はというと、銀行を利用して金融調達ができたのは大企業と一部の中堅製造業だけで、少額資金を必要とした中小商工業や庶民には、近代的金融機関との取引はほとんど閉ざされていたという。地域社会に密着した金融機関の創設が望まれ、地元資金の集積をそのまま中小商工業者に還元融資し弱者を助けることによって地場産業の活路を開こうと、彦根信用組合が発足。大正3年(1914)8月18日から営業を開始した。この信用組合が後の彦根信用金庫となる。
 建物については『滋賀県の近代化遺産『滋賀県の近代化遺産ー滋賀県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書ー』(滋賀県教育委員会・平成12年)に、「屋根形状は当初のままと考えられる。棟高の異なる寄棟造の屋根をL字型に組み合わせ、千鳥破風を3個配し、しかも千鳥破風のひとつは腰折屋根とするという複雑な屋根構成を見せる。これによって市街中心部の角地に建つという立地にふさわしいモニュメント性を獲得している。破風のうちの二つには木材をクロスさせたスティックワークが施され、軽やかさを演出する」と記されている。
 僕は、久左の辻の空を区切る電線の交差が好きで、銀座支店を入れて写真を何度か撮ったことがある。赤い屋根を戴いた背の高い2階建ての建物が映る光景は何処か遠くの素敵な町のようだった。ライトアップも撮ってみた。大正7年から変わらぬ姿は、今までにない全く新しい彦根のランドマークだった。

参考

  • 『彦根信用金庫80年史』編集 創立80周年史編纂委員会 (平成7年)
  • 『滋賀県の近代化遺産ー滋賀県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書ー』滋賀県教育委員会/平成12年

風伯

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