政所の波兎(竹生島紋様)

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 東近江市 2014年6月2日更新

 波間を跳ぶうさぎの文様の名は「竹生島文様」という。「波うさぎ」「波にうさぎ」「波のりうさぎ」などと呼ばれることもある。
 謡曲『竹生島』に「緑樹影沈んで魚木に登る気色あり 月海上に浮かんでは兎も波を奔(はし)るか 面白の島の景色や」と謡われ、神秘的で美しい情景が浮かんでくる。謡曲『竹生島』の竹生島は琵琶湖のそれで、謡曲『竹生島』に由来し、淡海発祥の文様だと僕は今も信じて疑わない。そして僕は、湖東湖北に存在する竹生島文様を、ずっと探している。
 永源寺町政所は茶の産地である。僕は、「宇治は茶所、茶は政所…」の茶摘み歌のこのフレーズだけしか知らない。勿論、節も知らない。全体の歌詞はどんなだろう、節付きで聴いてみたいと思いながら、柔らかなもこもこした緑の山々を愛でながら山間の集落に向かった。
 政所を訪れることになった理由はまた話すことになると思うが、途中、コンビニでじゃがりこと板チョコを土産に買った。下界で買ったじゃがりこのパッケージは、政所に着いた頃には蓋の部分が気圧の変化でパンパンに膨らんでいた。久し振りに「ものすごく驚いた」。政所は高地なのである。今度は、袋入りのポテトチップを持参しようと思った。楽しみである。
 さて、波間を跳ぶうさぎの文様の話だ。

 政所の光徳寺に「竹生島文様」があることを教えてもらい2年ほどが過ぎる。近頃では、「波兎の文様が家にあるのですが」という電話をいただくことがあり、未だに逢瀬が叶わぬ「竹生島文様」もいくつかある。政所のそれは僕にとっては2年越しの逢瀬みたいなものだ。
 光徳寺山門の「竹生島文様」は内側にあって、その気が無いと絶対に見つからない。前方を見つめ波間を奔るうさぎと、振り返るうさぎが、ちゃんと対になっている。ふっくらとした優しいフォルムだ。何度も話してきたがこの対でデザインされているところが「竹生島文様」の特徴ではないかと考えているし、僕が、『古事記』で最も親しまれてきた「稻羽之素菟(イナバノシロウサギ)』の舞台を淡海だと思っている大きな理由のひとつになっている。
 気になっているのは、火伏せを願ってのことだろう、波の文様が山門の外側と内側四方に彫られているのだが、その中のわざわざ内側に「竹生島文様」を配置しているところだ。本来なら象徴的なこの文様を外側に配置してもよさそうなところだが、何かしらの意志がはたらいたに違いないのだ。或いは、意に反して設置し間違えたのか。
 ところで、光徳寺鐘楼の鐘に見事な竜頭があった。鐘に竜頭を施すのは奈良や平安の時代だったと聞いたことがある。波間のうさぎもそんなに昔からあったということだろうか。「竹生島文様」が光徳寺にある理由と共に、しばらく僕は退屈を忘れることができそうである。

 

小太郎

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