彦根高宮 太鼓祭り

門口・いかり紋の謎

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2014年4月30日更新

 4月13日、早朝、電話があった。「今日は高宮の祭りだから、来てはどうか」と、男性の声だった。僕は寝ぼけていたけれどごそごそとカメラを持って出かけることにした。時間ができたら……、そう考えていることは多分、一生できない。気持ちが少しでも動いたら出かけるのがいい。
 高宮の「太鼓祭り」として知られているが正式には「高宮祭り」、高宮神社の春の大祭である。昭和53年から4月10日に近い日曜日と祭りの日が改められた。前日の土曜日が宵宮である。大北・中北・両小路・鳥居上・東出・門口・竹之越・新町の八つの町の太鼓が出る。この太鼓がとにかく大きく、「太鼓祭り」と呼ばれる所以だ。

 のんびりとした祭りだった。中山道。太鼓と鉦の音が届く。町内を練り高宮神社へ渡る最中なのだろう、決まったリズムはなく、「今、この辺りにいる」という叩き方が祭り見物の稀人には心地よい。
 高宮神社に宮入りし集まった八つの太鼓は、いっせいに打ち鳴らされるでもなく、派手に競い合うわけでもなく、ただただ気ままに、そして華やかに、それぞれの太鼓が打たれる。「それでは心を込めて打たせていただきます」と声がしたりする。年配の方が叩く音が、より艶やかで大きいのが印象的だった。各町それぞれの紋を染め抜いた法被姿の若衆が、境内にあふれている。どの顔も今日は特別だ。
 偶然、古い知り合いの大越玉代さんにお会いした。実家が門口なのだ。「門口はいかり紋なんです。不思議でしょう」。これが僕らの最初の会話だった。
 「丸に両の紋」は両小路、鳥居上は「丸に鳥」の文字、「東」は東出、ところが門口は「いかり紋」が染め抜いてある。内陸部の高宮に錨(碇)の紋とは……。

 大越さんは「各町の紋はその町の特徴を捉えることが多いのです。仕事で『復元江戸生活図鑑』を見ていた時に、江戸時代の髪結い処にいかりの紋が使ってあるのを知りました。門口にはかつて高宮ささらを製造する工房が多くあり、細く裂いた竹を束ねる様子が髪結いの髪を束ねる様子と似ている事から、門口はいかり紋になったのではないか」と考えているという。
 「ささら」とは、食器や樽などの洗浄に用いる道具で 、細く割った竹を束にしたものだ。高宮のささらは有名だったが、現在はもう作られていない。いかり紋とささらが結びつくのが大越さん独得で面白いと思った。
 高宮祭りの歴史は資料が少なく詳細は解らないが、近代に現在のような祭式が整えられていった印象が強いという。近代とは幕末・明治維新から第二次世界大戦終結までをいうから、門口といかり紋の関係は解けない謎ではないような気がしている。果たしてささらなのか! 時間のある時に調べてみようと思っている? 否、直ぐに調べた方が良さそうだ。

参考

  • 『新修彦根史市 第11巻民俗編』2012年

風伯

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