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まち・文化

  • 2012年5月14日

    古事記
    ふることぶみ

     2012年は、古事記編纂1300年という記念年である。とは言っても恥ずかしながら「古事記」について全く知識が無い。あるとすれば「いなばのしろうさぎ」「やまたのおろち」と手塚治虫の漫画で得た知識くらいだ。だから、『古事記』は「コジキ」と読むのではなく「フルコトブミ」なのだと知ったのも、つい先日のことで、江戸時代の... 続きを読む

  • 2012年5月9日

    湖北の切支丹灯籠

     以前のDADAに「湖北のキリシタン灯籠」の記事がある。面白いテーマだと思った。  『織田信長はキリスト教布教に寛大だったが、信長の後を継いだ豊臣秀吉はバテレン追放令を出し、宣教師を国外追放。徳川の世となるとキリシタンへの弾圧と迫害はさらに強まり、幕府は踏み絵を強制するなどキリシタン狩りを行った。しかし熱心な信者... 続きを読む

  • 2012年5月7日

    語り部が伝える賤ヶ岳合戦

    「賤ヶ岳合戦語り部の会」 山口忠義さん、小川敬子さん、村上宣雄さん  「長浜戦国大河ふるさと博」の会場のひとつ木之本エリアは、織田信長の後継を巡って羽柴秀吉と柴田勝家が争った賤ヶ岳合戦に焦点をあてている。ふるさと博は、史跡を野外博物館として位置づけ、北近江の戦国史を紹介しており、賤ヶ岳もそのひとつだ。頂上では... 続きを読む

  • 2012年5月3日

    龍神とトンネル

     今年は辰年、龍神について調べていたら、龍神とトンネルの話にいきあたった。  東海道本線・米原~彦根間には、昭和31年(1956)11月19日に電化されるまで、短いトンネルがあった。仏生山(むしやま)トンネルという。現在のJR琵琶湖線より山側、滋賀県東北部浄化センターの敷地内を走っていた。当初、トンネルではなかっ... 続きを読む

  • 2012年4月30日

    波兎に呼ばれる!

    社左側の竹生島文様 右側も同様の彫り物がある。野田神社の御祭神は少彦名命・受保命。波と兎といえば大国主命である。少彦名命は、大国主命と共に国造りをした神様である。その関係からこの文様が社殿にあるのかもしれない。  信じられないかもしれないが、本当の話だ。波兎が僕を呼んでいる。僕は、波間を跳ぶ兎のキュートな文様... 続きを読む

  • 2012年4月23日

    映画で遊べば地方が盛り上がる
    映画「一遍上人」がつなぐ縁 

    秋原北胤監督  2012年6月2日(土)、彦根ビバシティシネマにて『一遍上人』が封切られる。富士川(長野県・山梨県及び静岡県を流れる河川)以西では初公開となるこの映画の成功に向けて、「彦根を映画で盛り上げる会」が動いた。「一遍上人を盛り上げる会」として、秋原北胤監督を招待。4月17日(火)、花しょうぶ通り商店... 続きを読む

  • 2012年4月18日

    一遍上人

     「一遍上人」は鎌倉時代中期の僧侶で、現代でもその生き方に憧れる人は多い。  平治の乱、源平の合戦、承久の乱、天変地異や飢饉……、一遍上人は、仏教を人々救済の為に生かそうとした宗教家の一人だ。「捨ててこそ」のキーワードを思い出す人もいるだろう。  すべてを捨て去る為に、一遍上人は留まることなく諸国を歩き続けるわけ... 続きを読む

  • 2012年4月16日

    神蛙

     愛荘町軽野辺り……、雨が降ると春が近くなるのだからと、暖かくなればそれだけで全てが変わるはずだと、効果的な努力をすることもないまま道に迷った。年度末の工事で、迂回路の指示を無視して方角だけを頼りに走った結果である。「急がば回れ」、「終わり良ければ全て良し」、僕は「神蛙」に出会うことになった。ほ場整備の完了を示す... 続きを読む

  • 2012年4月13日

    庭に箒もあてず、樹に木鋏を入れることもせず……

    五老井の句碑  「五老井」は森川許六の号である。井戸の名前ではない。一般的に「許六」は「きょろく」というが、彦根では「きょりく」と発音するらしい……。  許六は、明暦2年(1656)8月14日の生まれ。本名を森川百仲といい、禄高300石。通称を五助、五老井・菊阿佛・無々居士を号した彦根藩士である。代々、武術指南... 続きを読む

  • 2012年4月9日

    3.11 東北にろうそくのあかりとともに流れた時間

     今年の3月11日を、滋賀県立大学の学生6名は宮城県南三陸町歌津田の浦の小さな漁港で迎えた。  昨年8月、建築を学ぶ学生たちが、被災した漁港に漁師さんたちの休憩や作業に使う番屋を建てたことがきっかけだった。以来毎月、先生や学生数名が田の浦へ通っている。 秋からは、漁業復興までの間浜の女性たちに仕事をと、学生と田の... 続きを読む

  • 2012年4月2日

    新たなるコレクション! ダムカード

    永源寺ダムとダムカード  毎年、冬になると、気になりだすことがある。「ダムカード」である。国土交通省のホームページに次のような説明がある。『国土交通省と水資源機構の管理するダムでは、ダムのことをより知っていただこうと、「ダムカード」を作成し、平成19年度の「森と湖に親しむ旬間」(7月21日~31日)中より、ダ... 続きを読む

  • 2012年3月30日

    大河のふるさとを巡る
    大坂城の遺構 竹生島唐門

    竹生島  1996年のオーストリアである発見があった。エッゲンベルグ城に飾られていた壁画が、豊臣時代の大坂を描いた屏風絵だったことが判明したのだ。そこには大坂城の様子も詳しく描かれており、本丸と二の丸の間にかかる「極楽橋」が見てとれる。極楽橋はちょうど400年前の慶長元年(1596)に建造され、慶長5年(16... 続きを読む

  • 2012年3月26日

    木ノ前道

     甲良町小川原、一本の道の名前が「木ノ前道」だと知った。僕にとっては凄いとこだった。「木ノ前道なのに木が無い」のも気になるが、話は地蔵に関係している。  木之本には「木之本地蔵」多賀町富之尾には「木中地蔵」というお地蔵様がおられる。木の「本」「中」とあるならば「先」があっても不思議ではないと思っていた。実際... 続きを読む

  • 2012年3月19日

    平清盛、運河計画

     平安末期の久安6年(1150)頃、平清盛は、嫡男で越前国司であった長男重盛に命じ、敦賀と琵琶湖を結ぶ運河開削計画を実行したと伝わる。塩津海道(街道)深坂峠に運河を掘ることで、越前側の笙の川、近江側の塩津大川が結ばれ、敦賀港から塩津港まで約25㎞の水路が完成すれば、物資の運搬がスムーズになる。そんな計画だった。 ... 続きを読む

  • 2012年3月2日

    3.11 つながろう東北へ ひこね

     今、世界中の人々が3月11日に向けて、それぞれの思いをそれぞれのやり方で、東北へ届けようとしている。 「3.11つながろう東北へ」もそのひとつだ。既に、彦根市民会館ギャラリーでは、日本経済新聞社の協力で『東日本大震災写真ギャラリー「記憶」2011.3.11PM2:46』が開催され、日本経済新聞社編集局写真部記者が... 続きを読む

  • 2012年2月27日
    No Image

    正反対の勘違い

     最近は、ツイッターやらフェイスブックやらで、わらわしている。「あたふた」ではなく、「わらわら」である。友人は絶対にツイッターやらフェイスブックをしないと固い決心をしている。それもまた良い選択であると僕は思っている。タイムラインを流れるつぶやきに酔うこともなく、一人はひとりの思考のまま眠りに落ちる……。  先日、タイム... 続きを読む

  • 2012年2月17日

    そこに臼と杵があるから、餅をつく

    左から西川さん、辻井さん、津田さん  1920年代、3度に渡りエベレスト登頂に挑戦したイギリスの登山家ジョージ・マロリーにはこんな逸話がある。新聞の取材で「なぜあなたはエベレストを目指すのか」と問われてマロニーはこう答えたという。 「そこに山があるから(Because it is there. )」。  長浜... 続きを読む