<?xml version="1.0" encoding="utf-8"?>
<feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom" xml:lang="en">

    <title type="text">DADA Journal</title>
    <subtitle type="text">滋賀県湖東・湖北の地域情報誌 [ダダ・ジャーナル]</subtitle>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://dada-journal.net/" />
    <link rel="self" type="application/atom+xml" href="http://dada-journal.net/atom/" />
    <updated>2012-05-14T02:48:45Z</updated>
    <rights>Copyright (c) 2012, みなみ</rights>
    <generator uri="http://expressionengine.com/" version="1.6.7">ExpressionEngine</generator>
    <id>tag:dada-journal.net,2012:05:18</id>


    <entry>
      <title>[お店] “人とビール”が主役の店</title>
      <link rel="alternate" type="text/html" href="http://dada-journal.net/shop/articles/647/?ref=feed" />
      <id>tag:dada-journal.net,2012:shop/4.647</id>
      <published>2012-05-18T01:00:29Z</published>
      <updated>2012-05-14T02:48:45Z</updated>
      <author>
            <name>みなみ</name>
      </author>

      <category term="彦根市"
        scheme="http://dada-journal.net/area/c/hikone/"
        label="彦根市" />
      <content type="html"><![CDATA[
<div class="imgbox right"><p>
<a href="/uploads/shop/663f63b1f0975bbf04157dc5dcb7ab21.jpg" class="lightbox"><img src="/uploads/shop/cache/663f63b1f0975bbf04157dc5dcb7ab21-220x165.jpg" width="220" height="165"  alt="" /></a></p>

<p>Peterの店内
</p></div>

<div class="imgbox right"><p>
<a href="/uploads/shop/4206aee5f0af04852ad8c536051c7584.jpg" class="lightbox"><img src="/uploads/shop/cache/4206aee5f0af04852ad8c536051c7584-220x165.jpg" width="220" height="165"  alt="" /></a></p>

<p>西堀満さんと、従業員のフローランスさん
</p></div>

<div class="imgbox right"><p>
<a href="/uploads/shop/07c5eefdf8a49a41c4acc4f660a7029d.jpg" class="lightbox"><img src="/uploads/shop/cache/07c5eefdf8a49a41c4acc4f660a7029d-220x165.jpg" width="220" height="165"  alt="" /></a></p>

<p>ランチの沖縄そば定食
</p></div>

<div class="imgbox right"><p>
<a href="/uploads/shop/28c458510679a93adb68a54bfb4042ce.jpg" class="lightbox"><img src="/uploads/shop/cache/28c458510679a93adb68a54bfb4042ce-220x165.jpg" width="220" height="165"  alt="" /></a></p>

<p>ビールの味を引き立てるメニューが揃っている
</p></div>

<p>　「ビール」と聞いて思い浮かぶのは、キリン、サッポロ、サントリー、それともアサヒだろうか。長年国産大手メーカーの寡占状態にあった国内のビール市場だが、地ビールの規制緩和や輸入ビールの台頭などを経て、少しずつ様相が変わってきた。「地ビール」はブームとその終焉を経て、「クラフトビール」と名を変えた。現在は小さいが真摯なブルワリー（醸造所）が、味や香りを追求したビール作りに打ち込んでいる。<br />
　彦根でクラフトビールを広めたいと考えたのが西堀満さんだ。2011年11月、彦根商工会議所のチャレンジショップ事業を利用し、佐和町商店街にビアカフェ「Peter（ピーター）」をオープンした。<br />
　Peterは単にクラフトビールを並べた、種類の多さを売りにした店とは一線を画す。西堀さんが惚れたビールのみを厳選。「世界的に認められた本当においしいビールだけを提供したい」との思いが込められている。<br />
　西堀さんとクラフトビールの出合いは、以前の仕事を通じて。ビール醸造に使う機械のメーカーに就職した西堀さんは、業者としてブルワリーに出入りするうちにその魅力に目覚めたという。「地元・滋賀においしいクラフトビールを紹介したい」と強く感じ、5年の修業の後に店を開いた。オープンにあたってこだわったのは、会社員時代に醸造元にも出入りし、惚れ込んだ「よなよなエール」を扱うことだった。<br />
　「エール」とは大麦麦芽を使用し、酵母を常温・短期間発酵させて造るビールの一種。豊かな香りと深いコク、フルーティーな味わいを持つ。よなよなエールは、美しい琥珀色とほんのり甘さを感じるコク、苦味のあるフレーバーが特徴だ。<br />
　世界的な評価も高く、もちろん飲んでおいしい。加えて自身が製造の場にかかわり思い入れも深い。そんなビールを「できるだけおいしい状態で提供し、多くの人に味わってほしい」と、滋賀県下で初となる「樽生よなよなエール」も導入した。Peterの主役は“人とビール”。だからこそ料理は家庭的でシンプルを心がけているという。沖縄の家庭料理を中心に、ビールの味を引き立てるようなメニューを揃えている。<br />
　「目指すのは地域密着のお店です」と西堀さん。「『まいど』と言って入れる店。店員とお客様、お客様同士など、人と人とが触れ合える場が目標です。『ここに来ると落ち着く』と言ってくださるような店にしていきたいと思います」。<br />
　クラフトビールにこだわっているものの、雰囲気は気取りがなく親しみやすい。近所の店で、いつものビールとおいしいものを食べようと思って足を運び、ちょっと変わったビールをみつけてオーダーする。飲んでみると意外とおいしい。居住まいを正してクラフトビールを飲ませていただくのではなく、普段着感覚で本格的なビールに触れることができる。「地域密着」と、「おいしいビールを広めたい」という熱意が融合した幸せな空間。それがPeterなのだ。　
</p>
      ]]></content>
    </entry>

    <entry>
      <title>[まち・文化] 彦根とラーメンのおいしい関係</title>
      <link rel="alternate" type="text/html" href="http://dada-journal.net/culture/articles/651/?ref=feed" />
      <id>tag:dada-journal.net,2012:culture/2.651</id>
      <published>2012-05-16T01:00:29Z</published>
      <updated>2012-05-15T00:53:43Z</updated>
      <author>
            <name>編集部</name>
      </author>

      <category term="彦根市"
        scheme="http://dada-journal.net/area/c/hikone/"
        label="彦根市" />
      <content type="html"><![CDATA[
<div class="imgbox right"><p>
<a href="/uploads/culture/5090b9c1a4c7da3aba9ac6053a95e487.jpg" class="lightbox"><img src="/uploads/culture/cache/5090b9c1a4c7da3aba9ac6053a95e487-200x283.jpg" width="200" height="283"  alt="" /></a></p></div>

<p>　おいしいラーメンとは一体何なのか。最近、ラーメンのことばかり考えている。<br />
　僕の生まれた広島県東部では、ラーメンといえば尾道ラーメンである。鶏ガラでとった澄んだ醤油スープに豚の背脂が浮かび、麺は中細のストレートというのが基本だ。「尾道ラーメン」という呼び名は最近になって広まったもので、地元では一般的に中華そばと呼ばれていて、どこのお店に行ってもたいていこのスタイルのラーメンが提供されている。価格も安く、いわば庶民のソウルフードといったところだろうか。僕にとってのラーメンとは、まさにこのいわゆる尾道ラーメンであってそれ以上でもそれ以下でもないはずだった。<br />
　そんな僕が15年ほど前に彦根にやって来たときに驚いたのが、ラーメン店が少ないということだった。そして、このあたりでラーメンといえば敦賀で、みんな口を揃えたように「敦賀にラーメン食べに行こう」と言った。確かに50キロ以上も離れた隣の県にわざわざラーメンを食べる目的のためだけに出かけていくというのは楽しい体験ではあったけれど、ソウルフードとしてラーメンが身近な存在だった僕にはとうてい理解できないことでもあった。<br />
　あれから15年……。彦根のラーメン店はものすごい勢いで増えた。もともと彦根のラーメンという定義が存在しなかっただけにスタイルは様々で、京都系のこってりスープからあっさり醤油、創作系のオリジナルまで実にバラエティ豊かなラーメンが味わえる。いまや彦根はラーメンの街と言っても過言ではないのではないか。尾道ラーメン一筋だった僕も、いまではすっかり彦根のラーメンに魅了されてしまった。<br />
　そんな彦根で、テーマを決めてラーメンの味を競う「第２回彦根ラーメングランプリ」がビバシティ彦根の駐車場で開催される。彦根市内のラーメン店有志などでつくる「彦根をラーメンの街にする会」が主催するもので、今年３月に行われた「3.11 つながろう東北へ ひこね」でのラーメングランプリをきっかけに今回が２度目の開催となる。「初夏」をテーマに12店舗がグランプリを競う。<br />
　主催メンバーの一人、めん屋樹代表の鯰江智一さん（32）は、「３月11日のイベントに参加して、ラーメンしかつくれないラーメン屋でも震災復興に微力ながら貢献することができた。これをきっかけにラーメンを通じて地域を盛り上げていく力になれれば。回を重ねて彦根のご当地イベントとして定着させていきたい」と話す。<br />
　グランプリが決まるのももちろん楽しみだけど、様々なラーメンに出会えるのがなにより楽しみだ。さて僕は、おいしいラーメンの答えにたどり着けるのだろうか。
</p>
      ]]></content>
    </entry>

    <entry>
      <title>[まち・文化] 古事記</title>
      <link rel="alternate" type="text/html" href="http://dada-journal.net/culture/articles/648/?ref=feed" />
      <id>tag:dada-journal.net,2012:culture/2.648</id>
      <published>2012-05-14T01:00:26Z</published>
      <updated>2012-05-15T01:35:28Z</updated>
      <author>
            <name>雲行</name>
      </author>

      <category term="彦根市"
        scheme="http://dada-journal.net/area/c/hikone/"
        label="彦根市" />
      <content type="html"><![CDATA[
<div class="imgbox right"><p>
<img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=kitakaze02-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4921153000" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" /><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4921153000/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&amp;tag=kitakaze02-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4921153000"><img src="/uploads/culture/cache/77643e4e8787dabf10d3a7ae2b70615f-200x287.jpg" width="200" height="286"  alt="" /></a>
</p></div><p>
　2012年は、古事記編纂1300年という記念年である。とは言っても恥ずかしながら「古事記」について全く知識が無い。あるとすれば「いなばのしろうさぎ」「やまたのおろち」と手塚治虫の漫画で得た知識くらいだ。だから、『古事記』は「コジキ」と読むのではなく「フルコトブミ」なのだと知ったのも、つい先日のことで、江戸時代の国学者本居宣長（もとおりのりなが）が『古事記』は「フルコトブミ」と読むべきだと考えたらしい。<br />
　1300年を機会に少し勉強しなくてはと思った。何か良い参考書はないかと探してみたが、漢字の読み方が難しく神様の名前が読めない。カタカナで書いてあっても目で追いきれない、覚えられない。そこで手に入れたのが、多賀大社でみつけた『古事記のものがたり』 、副題が『稗田阿礼が語るゆかいな「日本の神話」』である。32の神話がおさめられている。ゆかいなという言葉が購入の決め手だった。<br />
　「お伊勢参らばお多賀に参れお伊勢お多賀の子でござる。お伊勢七度 熊野へ三度、お多賀さまには月参り」と謡われる土地に暮らしながら、絵本で読んだ一つや二つの話しか知らないようでは……と読み始めてみると面白い。宇宙の始まりから『古事記』は記している。<br />
　ここで、疑問がある。誰でもが思うだろう疑問だ。<br />
「1300年前に、編纂された日本最古の歴史書である古事記には、神話が記されているだけなのか？」そうではないはずである。<br />
　何か知る手立てはないかと探していたら、<a href="http://kuuno.jp/" class="external" target="_blank">『古事記の章』という一泊二日の小旅行</a>を見つけた。6月2日・3日の催行で、参加者募集中だった。僕には読むことができない漢字ばかりの書籍と格闘するより、楽しそうだったし、家の近くでホテルに泊まるのもいいかもしれないと申し込んだ。<br />
　僕は、その日のために基礎知識として『古事記のものがたり』の第四話『涙から生まれた神さま』を今読んでいるというわけだ。一日一話か二話読めば、読破できる。相変わらず神様の名前が覚えられないが、例えば、宇摩志阿斯訶備比古遅（うましあしかびひこぢ）の神とか、無条件でこの神様はスゴイと思うのである。</p>


      ]]></content>
    </entry>

    <entry>
      <title>[Monologue] No.538</title>
      <link rel="alternate" type="text/html" href="http://dada-journal.net/monologue/articles/645/?ref=feed" />
      <id>tag:dada-journal.net,2012:monologue/10.645</id>
      <published>2012-05-14T00:14:38Z</published>
      <updated>2012-05-14T00:15:39Z</updated>
      <author>
            <name>小太郎</name>
      </author>

      <content type="html"><![CDATA[
<img src="/uploads/monologue/cache/_top538-360x241.jpg" width="360" height="241"  alt="" /><p>オレンジにアコガレた<br />
大きな月が屋根の上にあった<br />
琵琶湖の西岸ではこいつが<br />
水に映っているのだ
</p>
      ]]></content>
    </entry>

    <entry>
      <title>[ソラミミ堂] 淡海宇宙誌 XXIII</title>
      <link rel="alternate" type="text/html" href="http://dada-journal.net/soramimido/articles/640/?ref=feed" />
      <id>tag:dada-journal.net,2012:soramimido/12.640</id>
      <published>2012-05-11T01:00:32Z</published>
      <updated>2012-04-23T01:15:49Z</updated>
      <author>
            <name>編集部</name>
      </author>

      <content type="html"><![CDATA[
<div class="imgbox right"><p>
<a href="/uploads/soramimido/d76c13117aef722dd0518db4fed89c96.jpg" class="lightbox"><img src="/uploads/soramimido/cache/d76c13117aef722dd0518db4fed89c96-260x355.jpg" width="260" height="355"  alt="" /></a></p>

<p>イラスト: 上田三佳
</p></div>

<p>　土の降り積もった地層から掘り出された太古の暮らしは、現代の考古学によって随分よく見えるようになってはいるものの、はるか昔のお話には、どこか神話のにおいがします。<br />
　ということは、はるか先—その頃はもう土の中ではなくて、大容量記憶装置の中に積もった0と1との「知層」から発掘されることになっているかもしれないけれど—例えばイーハトーヴの心象スケッチが「二千年後の人々は、&nbsp; 二千年前には青ぞらいっぱいの無色の孔雀が居たんだ&nbsp; と思うかもしれない」と予期するように、今のこの僕らの暮らしも、遠い未来の人間たちには半分くらい神話のようになるのでしょうか。<br />
　母なる湖、琵琶湖は今や一千四百万の人々の命の源です。琵琶湖・淀川のほとりに住み、同じ水を飲んで生きているこの一千四百万人はだからみな琵琶湖・淀川の種族です。<br />
　「水族」と言えばふつう水の中に生きる者たちのことを指しますが、同じ水を飲む者たちもまたもう一つの「水族」であると呼べるとしたら、僕たちは「琵琶湖・淀川水族」です。<br />
　ところが僕ら一千四百万の「琵琶湖・淀川水族」の多くはもう一つ、別の種族にも属している。<br />
　「敦賀・若狭電族」という種族です。同じ電気で生きる者。<br />
　琵琶湖・淀川の水が流れ、広がる「流域」がある。その「流域」に被さって、敦賀・若狭から流れ広がる「電流域」がある。<br />
　「二千年も前には、水と電気と、二つの神様に従い、神様同士の葛藤を見守りながら、祀り上げたり、鎮めたりして生きた種族が、この一帯に居たらしい」。<br />
　何かの拍子に淡海の宇宙誌を発掘した未来人は、そんな仮説を発表するかもしれません。</p>

<p>&nbsp;</p>      ]]></content>
    </entry>

    <entry>
      <title>[まち・文化] 湖北の切支丹灯籠</title>
      <link rel="alternate" type="text/html" href="http://dada-journal.net/culture/articles/638/?ref=feed" />
      <id>tag:dada-journal.net,2012:culture/2.638</id>
      <published>2012-05-09T01:00:04Z</published>
      <updated>2012-05-14T02:49:05Z</updated>
      <author>
            <name>小太郎</name>
      </author>

      <category term="長浜市"
        scheme="http://dada-journal.net/area/c/nagahama/"
        label="長浜市" />
      <category term="湖北町"
        scheme="http://dada-journal.net/area/c/kohoku/"
        label="湖北町" />
      <content type="html"><![CDATA[
<div class="imgbox right"><p>
<a href="/uploads/culture/20c11ea79a2f8251e3c495f0873e967a.jpg" class="lightbox"><img src="/uploads/culture/cache/20c11ea79a2f8251e3c495f0873e967a-260x174.jpg" width="260" height="174"  alt="" /></a></p></div>

<p>　以前のDADAに「<a href="http://dada-journal.net/culture/articles/515/">湖北のキリシタン灯籠</a>」の記事がある。面白いテーマだと思った。<br />
　『織田信長はキリスト教布教に寛大だったが、信長の後を継いだ豊臣秀吉はバテレン追放令を出し、宣教師を国外追放。徳川の世となるとキリシタンへの弾圧と迫害はさらに強まり、幕府は踏み絵を強制するなどキリシタン狩りを行った。しかし熱心な信者は密かに信仰を続け、その礼拝対象となったのが、キリシタン灯籠であり、マリアに見立てた観音像だった。<br />
　キリシタン灯籠は、竿石と呼ばれる灯籠の支柱に当たる部分が十字形になっている。竿石の下部にキリストやマリア像が彫られていることなどが特徴だ』。長浜市国友町「因乗寺」、虎姫町大寺（個人宅）の2基を紹介している。いずれも竿石の下部に像が彫ってある灯籠だった。</p>

<div class="imgbox right"><p>
<a href="/uploads/culture/4d55bfdec2545ce0f2189bbb6719e23b.jpg" class="lightbox"><img src="/uploads/culture/cache/4d55bfdec2545ce0f2189bbb6719e23b-260x174.jpg" width="260" height="174"  alt="" /></a></p></div>

<p>　友人の田中家石材の田中さんに『切支丹灯籠の研究』（松田重雄著・株式会社同信社発行・1969年）という書籍を借りたのもその頃だ。そこには、ラテン語が伏字となっている文様が刻まれた切支丹灯籠があり、ラテン語のPATRIのPTIで「父」を意味していることなどが記されていた。しかし、その文様の意味の究明は長年成されているが、今尚謎に包まれている。僕には、知識の不足は否めず、謎の解明の理論を理解できなかった。とりあえず実物を見てみたいと思っていた。忘れなければ、思い続ければ実現する……。<br />
　長浜市湖北町河毛の泉龍寺にそれはあった。竿に文様が刻まれている。｢<img src="http://dada-journal.net/uploads/culture/4337af51db6709846b9a9c43bc4ed19d.jpg" alt="" title="" />｣が謎の文様である。<br />
　泉龍寺の門は『伝小谷城裏門』であるという説明があった。『泉龍寺の過去帳に「當寺本堂門ハ往昔小谷城浅井長政公ノ裏門ニテアリシ」とあり、小谷城の裏門であったと伝えられている。また、当初茅葺きであったが、瓦葺きに改造されたことが記されている。</p>

<div class="imgbox right"><p>
<a href="/uploads/culture/537b54f14fd59a003f0544bcc79516c0.jpg" class="lightbox"><img src="/uploads/culture/cache/537b54f14fd59a003f0544bcc79516c0-260x174.jpg" width="260" height="174"  alt="" /></a></p></div>

<p>　屋根は記録どおり葺き替えられているが、その他は古く戦国時代のもので、柱や戸の風化、金具からもその時代を感じさせられる。<br />
　小谷城の建物については明らかではなく、伝えるこの門は貴重な資料である。湖北町教育委員会』<br />
　浅井長政の姉の京極マリアのことを思った。天正9年（1581）、安土城城下でオルガンティノ神父より洗礼を受け、天正15年（1587）、豊臣秀吉が発したバテレン追放令以降も信仰を貫いた女性である。　伝小谷城裏門と切支丹灯籠とは関係はないだろうが、小谷城で生まれた京極マリアと切支丹灯籠……、そして、ふらふらと導かれるように泉龍寺を通った僕である。「湖北の切支丹灯籠」、新たなる導きと展開があるに違いないと信じて疑わない。
</p>
      ]]></content>
    </entry>

    <entry>
      <title>[まち・文化] 語り部が伝える賤ヶ岳合戦</title>
      <link rel="alternate" type="text/html" href="http://dada-journal.net/culture/articles/639/?ref=feed" />
      <id>tag:dada-journal.net,2012:culture/2.639</id>
      <published>2012-05-07T01:00:13Z</published>
      <updated>2012-05-14T02:50:14Z</updated>
      <author>
            <name>青緑</name>
      </author>

      <category term="長浜市"
        scheme="http://dada-journal.net/area/c/nagahama/"
        label="長浜市" />
      <category term="木之本町"
        scheme="http://dada-journal.net/area/c/kinomoto/"
        label="木之本町" />
      <content type="html"><![CDATA[
<div class="imgbox right" style="width: 260px;"><p>
<a href="/uploads/culture/b3ceae0ef398fd2dd9a4441e20214bc4.jpg" class="lightbox"><img src="/uploads/culture/cache/b3ceae0ef398fd2dd9a4441e20214bc4-260x195.jpg" width="260" height="195"  alt="" /></a></p>

<p>「賤ヶ岳合戦語り部の会」 山口忠義さん、小川敬子さん、村上宣雄さん
</p></div>

<p>　「長浜戦国大河ふるさと博」の会場のひとつ木之本エリアは、織田信長の後継を巡って羽柴秀吉と柴田勝家が争った賤ヶ岳合戦に焦点をあてている。ふるさと博は、史跡を野外博物館として位置づけ、北近江の戦国史を紹介しており、賤ヶ岳もそのひとつだ。頂上では、「賤ヶ岳合戦語り部の会」の方々がボランティアガイドとして合戦の解説をしている。<br />
　「赤い鉄塔が2本見えるのがわかりますか。あのあたりから少し北で秀吉軍と勝家軍が一戦を交えたのです」。語り部のひとり山口忠義さん（72）のガイドだ。語り部の会には100人以上の地元の人が登録、講習を終え、交代で語り部を担当している。<br />
　広々とした山頂からは、琵琶湖はいうまでもなく、余呉湖周辺、小谷城跡、姉川古戦場まで大パノラマが展開する。<br />
　勝家軍の猛将で行市山砦にいた佐久間盛政が7000人の部下を従え山を越え、余呉湖岸に降りて、大岩山砦を守っていた秀吉方の中川清秀軍を壊滅させた奇襲攻撃のこと。現場を離れ大垣にいた秀吉がその報を聞きつけ、52㎞の距離を5時間で駆け抜け盛政軍に総攻撃をしかけたこと。のちに七本槍と言われる武将たちが、敗走する盛政軍を追いかけ飛び出し、秀吉はここ賤ヶ岳山頂で、その采配をふったこと…。山口さんは淡々と話を進めていく。ちょっと休憩を入れるように余呉湖の羽衣伝説、雪をかぶる横山岳や上谷山の名前などの説明もあった。</p>

<div class="imgbox right"><p>
<a href="/uploads/culture/b3a9e5d8b35e4c8aeea812dc998a6228.jpg" class="lightbox"><img src="/uploads/culture/cache/b3a9e5d8b35e4c8aeea812dc998a6228-260x195.jpg" width="260" height="195"  alt="" /></a></p></div>

<p>　両陣営の動きを俯瞰するには最高の場所だった。本で知っていたことでも、実際の距離感がダイレクトにわかる。こんな山あり谷ありの場所で……、と当時の武将たちの体力と精神力の強さに改めて驚く。20分ほどの説明を聞いて男性がつぶやいた。「賤ヶ岳合戦と言うけれど、戦いはこの山でだけではなかったんだね」。<br />
　「賤ヶ岳を、山ではなく、砦（とりで）のひとつだと思って歩いてほしいのです」。語り部の会の運営委員長、村上宣雄さん（69）の言葉を思い出した。湖北の歴史や自然に詳しい村上さんは語り部の養成や会の運営を担っている。「もうすぐね、タムシバがいっせいに咲きますよ」と村上さんは教えてくれた。コブシに似た真っ白い花で、4月20日頃が見ごろだという。合戦の激戦は今からちょうど430年前の天正10年（1582）4月20日前後だった（新暦6月）。<br />
　山登りが得意とはいえない私が、賤ヶ岳に何度も登っているのはリフト好き故である。ようやく訪れた春、またリフトに乗ってガイドしてもらおう……。武将たちが眺めたであろう景色や風景を教えてもらおうと思っている。賤ヶ岳に連なる山本山からのルートもいいが、やっぱりリフトである。
</p>
      ]]></content>
    </entry>

    <entry>
      <title>[まち・文化] 龍神とトンネル</title>
      <link rel="alternate" type="text/html" href="http://dada-journal.net/culture/articles/644/?ref=feed" />
      <id>tag:dada-journal.net,2012:culture/2.644</id>
      <published>2012-05-03T01:00:32Z</published>
      <updated>2012-04-23T03:30:57Z</updated>
      <author>
            <name>小太郎</name>
      </author>

      <category term="彦根市"
        scheme="http://dada-journal.net/area/c/hikone/"
        label="彦根市" />
      <content type="html"><![CDATA[
<div class="imgbox right"><p>
<a href="/uploads/culture/e1cf8ba31c8c954af30939d832857268.jpg" class="lightbox"><img src="/uploads/culture/cache/e1cf8ba31c8c954af30939d832857268-260x174.jpg" width="260" height="174"  alt="" /></a></p></div>

<p>　今年は辰年、龍神について調べていたら、龍神とトンネルの話にいきあたった。<br />
　東海道本線・米原～彦根間には、昭和31年（1956）11月19日に電化されるまで、短いトンネルがあった。仏生山（むしやま）トンネルという。現在のJR琵琶湖線より山側、滋賀県東北部浄化センターの敷地内を走っていた。当初、トンネルではなかったが、その後、わざわざ煉瓦を積んでトンネルにしたらしい。<br />
　マニアの間では有名なトンネルらしく、『日本の鉄道ことはじめ』沢和哉著（1996年）「第2章鉄道建設うらばなし」で、「龍神が怒って運転を妨害 仏生山トンネルものがたり」として、紹介している。<br />
　　　仏生山には、龍神が住んでいて、竹生島の弁才天のもとへ通う道筋となっていた。ところが、鉄道が仏生山の中央を切り通し、怒った龍神が、木や土砂を線路上に落下させて、鉄道の運行を妨害した。故に、わざわざ煉瓦を積んでトンネルにした。<br />
　龍神は今も竹生島の弁才天のもとへ通うことができるわけである。木や土砂が線路上に落ちる現象を龍神の怒りとするところが、琵琶湖ならではの話である。<br />
　そして、仏生山トンネルは今も存在している。しばらくすると緑に覆われ見えなくなってしまうだろうが、米原から彦根に向かう時、少し気をつけていると、JRの線路の向こう側に、美しい煉瓦のアーチが2つあることに気づく。<br />
　実際にこのトンネルをリアルに経験した人も多いだろう。龍神が竹生島へ通う道の下を鉄道が走っていた……。その光景を想像し目を細める気分のいい春である。
</p>
      ]]></content>
    </entry>

    <entry>
      <title>[まち・文化] 波兎に呼ばれる！</title>
      <link rel="alternate" type="text/html" href="http://dada-journal.net/culture/articles/641/?ref=feed" />
      <id>tag:dada-journal.net,2012:culture/2.641</id>
      <published>2012-04-30T01:00:09Z</published>
      <updated>2012-04-23T03:37:10Z</updated>
      <author>
            <name>小太郎</name>
      </author>

      <category term="長浜市"
        scheme="http://dada-journal.net/area/c/nagahama/"
        label="長浜市" />
      <category term="湖北町"
        scheme="http://dada-journal.net/area/c/kohoku/"
        label="湖北町" />
      <content type="html"><![CDATA[
<div class="imgbox right" style="width: 260px;"><p>
<a href="/uploads/culture/c265facab7423d0523a8bb48d028411f.jpg" class="lightbox"><img src="/uploads/culture/cache/c265facab7423d0523a8bb48d028411f-260x174.jpg" width="260" height="174"  alt="" /></a></p>

<p><strong>社左側の竹生島文様</strong><br />
右側も同様の彫り物がある。野田神社の御祭神は少彦名命・受保命。波と兎といえば大国主命である。少彦名命は、大国主命と共に国造りをした神様である。その関係からこの文様が社殿にあるのかもしれない。
</p></div>

<p>　信じられないかもしれないが、本当の話だ。波兎が僕を呼んでいる。僕は、波間を跳ぶ兎のキュートな文様に魅せられコレクションしている。DADAの読者の方ならばよくご存知だと思うが、この文様の別名は「竹生島文様」という。<br />
　ようやく春めいた一日、予定していた午後の仕事がキャンセルになり、暇に任せて取材に出かけることにした。目的地は湖北町河毛。切支丹灯籠の写真を撮る……。<br />
　そして陽気に誘われ、林道を走り草野川流域の寺師町へ出て、谷坂隧道を郷野側から小室へと抜けた。小谷山を一周するような感じである。ほ場整備が終わった水田が広がり水が入ると空を映す美しいところである。<br />
2012年5月21日の金環食のことを思った…。<br />
　野田神社（長浜市野田町）のタンポポの写真を撮って境内に入ると、お社の前に足利尊氏が観応元年（1350）に奉納した宝篋印塔があった。古い神社である。<br />
　ここで呼ばれた……。</p>

<div class="imgbox right" style="width: 260px;"><p>
<a href="/uploads/culture/ae089aaf0a7b07806790b1b6c15f094f.jpg" class="lightbox"><img src="/uploads/culture/cache/ae089aaf0a7b07806790b1b6c15f094f-260x174.jpg" width="260" height="174"  alt="" /></a></p>

<p><strong>足利尊氏が奉納した宝篋印塔</strong><br />
「南北朝時代の観応元年（1350年）、足利尊氏は弟の直義と不和になり、尊氏は浅井郡湯次野に直義は八相山（現在の虎御前山）に布陣し戦となった。いわゆる八相山の戦争である。尊氏はこの戦に臨むにあたり当神社の神威を聞き祈願をこめて修営料を附し宝篋印塔一基を奉納した。」（説明板より）
</p></div>

<p>　社の左右にそれぞれ竹生島文様があった。兎が波間を跳んでいる。<br />
　この文様には、原則みたいなものがある。前方を見ている兎と、後方を振り返る兎がセットになっている。そこに月が加わる場合もある。<br />
　野田神社の文様は満月と三日月が社の明かり取りのためだろうかデザインされている。久しぶりに美しい波兎だった。<br />
　世間では鍾馗（しょうき）さんが静かな人気で、『鍾馗さんを探せ!!～京都の屋根のちいさな守り神～』（小澤正樹著・淡交社刊・2012年）が話題になっている。鍾馗さんの図像は魔よけの効験があるとされ、屋根の上に鍾馗の像を載せたりするのだが、湖東・湖北でも時々見かける屋根の意匠だ。<br />
　波兎だって屋根の意匠に使われている……。僕はこの日、波兎に呼ばれた！ コレクションをまとめなさいということなのだろうと納得した。</p>

<p>&nbsp;</p>
      ]]></content>
    </entry>

    <entry>
      <title>[お店] 中国料理 招禄の白麻婆豆腐</title>
      <link rel="alternate" type="text/html" href="http://dada-journal.net/shop/articles/642/?ref=feed" />
      <id>tag:dada-journal.net,2012:shop/4.642</id>
      <published>2012-04-26T01:00:32Z</published>
      <updated>2012-04-23T03:17:57Z</updated>
      <author>
            <name>雲行</name>
      </author>

      <category term="彦根市"
        scheme="http://dada-journal.net/area/c/hikone/"
        label="彦根市" />
      <content type="html"><![CDATA[
<div class="imgbox right"><p>
<a href="/uploads/shop/5b09eb70fdacabfd5371c2dfc853dd7a.jpg" class="lightbox"><img src="/uploads/shop/cache/5b09eb70fdacabfd5371c2dfc853dd7a-260x174.jpg" width="260" height="174"  alt="" /></a></p></div>

<p>　癖のようなものかもしれない。ある一定期間が過ぎると無性に食べたくなるものがある。或いは、何かをきっかに、必ず思い出す類のもの……。中国料理招禄の「白麻婆豆腐」がそれだ。<br />
招禄では3年ほど前から夏の一押しの単品メニューになっている。<br />
　白麻婆豆腐は、ホワイトという冠が付いているだけあって、麻婆豆腐に比べると確かに白っぽい。ネギやニンニクの葉、唐辛子の鮮やかな色が際立っている。<br />
　麻婆豆腐は、豆板醤（トウバンジャン）で辛みを付けるのだが、白麻婆は、四川唐辛子（朝天辣椒・チョウテンラージャオ）と山椒で辛みを整える。実際、辛いが美味しい。挽肉は、滋賀県産蔵尾ポークを使っている。バームクーヘンを食べて育つ日本一美味しいといわれている極上豚肉である。<br />
　考えただけでも辛い。見た目も香りも実に辛い。香ばしさは、唐辛子を油で炒めてあるせいだろう。僕は、白麻婆豆腐の唐辛子も、丸ごとワシワシと食べる……。全部たいらげる。その複雑な味を表現する言葉を持ち合わせていないが、辛さに旨みを感じる。<br />
　一年を通して注文するのは僕ぐらいかもしれない。食べている最中に汗が流れ、身体が目覚める感覚の旨さ……。招禄の白麻婆豆腐は、食べている間に、笑えるくらいに美味しい。これが、癖になる。へこみがちで元気が必要な時に、白麻婆豆腐！ そして、勿論、嬉しい時にも白麻婆豆腐！ 4月はまだ一回しか食べていない。　　　　</p>

<p>&nbsp;</p>
      ]]></content>
    </entry>

    <entry>
      <title>[まち・文化] 映画「一遍上人」がつなぐ縁　</title>
      <link rel="alternate" type="text/html" href="http://dada-journal.net/culture/articles/643/?ref=feed" />
      <id>tag:dada-journal.net,2012:culture/2.643</id>
      <published>2012-04-23T01:10:32Z</published>
      <updated>2012-04-23T03:27:57Z</updated>
      <author>
            <name>目片</name>
      </author>

      <category term="彦根市"
        scheme="http://dada-journal.net/area/c/hikone/"
        label="彦根市" />
      <content type="html"><![CDATA[
<div class="imgbox right"><p>
<a href="/uploads/culture/0787df9d8414f3f059147d310ede5a68.jpg" class="lightbox"><img src="/uploads/culture/cache/0787df9d8414f3f059147d310ede5a68-260x173.jpg" width="260" height="173"  alt="" /></a></p>

<p>秋原北胤監督
</p></div>

<p>　2012年6月2日（土）、彦根ビバシティシネマにて『一遍上人』が封切られる。富士川（長野県・山梨県及び静岡県を流れる河川）以西では初公開となるこの映画の成功に向けて、「彦根を映画で盛り上げる会」が動いた。「一遍上人を盛り上げる会」として、秋原北胤監督を招待。4月17日（火）、花しょうぶ通り商店街の、新生「ひこね街の駅寺子屋力石」にて、監督を囲む会を開催した。<br />
　一遍上人と彦根との関係はそれほど深くはない。しかし京へと向かう踊念仏の道中で湖東に立ち寄り、その際一遍の妻「超一」が亡くなったとの記録が残っている。秋原監督は「自分は〝愛〟をテーマに作品を作っています。『一遍上人』のテーマは夫婦愛です」という。苦楽を共にした妻を亡くした地である湖東と一遍との関係を思うと、名古屋圏や大阪圏での上映が難航したこの作品が、夫婦愛の地・彦根で封切られるのは不思議な縁なのかもしれない。<br />
　秋原監督の映画は地方ロケが特徴。今作も全国10カ所で撮影を行った。「出演の際の約束事は衣装を自分で用意することと、ノーメイク。原作の『一遍上人絵伝』を参考に、着物を用意したり、藁を背負ったり、工夫した衣装で参加してくれました」と監督。参加者が衣装を準備することで、映画への想いが強化されるという。<br />
　作品にかかわった人、観た人との交流も監督作品に生きている。「映画を観た人から文句とかご意見とか、たまによい感想をもらうのはとてもありがたいです。意見を取り入れて作品のクォリティをさらに上げていくんです。まずは観てもらうこと。次に一緒に作ることを大切にしています」。</p>

<div class="imgbox right"><p>
<a href="/uploads/culture/5103156ea728d753819e833c4907a0a5.jpg" class="lightbox"><img src="/uploads/culture/cache/5103156ea728d753819e833c4907a0a5-260x173.jpg" width="260" height="173"  alt="" /></a></p></div>

<p>　秋原監督のモットーは、「制作側も地方も無理せず、みんな楽しく」。地方ロケでは、多くの地域や人を巻き込み、当事者意識を作る。ロケ地に選ばれなかった地域の人々が、他地域のロケに参加することも少なくはない。ロケ地にとっては外部から客を呼び込むメリットがあり、外部からの参加者は自分たちの地域の魅力を外に向かってアピールするメリットがある。<br />
　本当の地方活性はみんなが楽しむことからはじまる。映画で遊び、映画を楽しむ。映画で地域を元気にするには、「楽しむ」気持ちから生まれるのではないか。<br />
　「映画は観てはじまる芸術。まずは観てもらって文句や感想を直に伝えてほしいです。6月2日の映画公開以降にまた彦根に来て、観てくださった方と話ができる機会を持ちたいと思っています。文句も嬉しいので、ぜひ映画を観て何か言いに来てください」。<br />
　「一遍上人を盛り上げる会」の目加田宗彦さんは、「映画を通じてまちを明るくするのが目標。自分たちの住むまちを自分たちで良くするのは当然のことです」と話す。映画が好き、映画で遊びたい、映画に参加したい。そんな気持ちの人々が集まって力や知恵を出し合い、楽しみながら映画とかかわる「会」の活動は徐々に活発化している。楽しみのなかから生まれた結びつきが、地域の活性化、盛り上げにつながっていくのだろう。</p>

<p>&nbsp;</p>
      ]]></content>
    </entry>

    <entry>
      <title>[Monologue] No.537</title>
      <link rel="alternate" type="text/html" href="http://dada-journal.net/monologue/articles/637/?ref=feed" />
      <id>tag:dada-journal.net,2012:monologue/10.637</id>
      <published>2012-04-22T00:51:35Z</published>
      <updated>2012-04-23T00:52:36Z</updated>
      <author>
            <name>小太郎</name>
      </author>

      <content type="html"><![CDATA[
<img src="/uploads/monologue/cache/_top537-360x242.jpg" width="360" height="241"  alt="" /><p>春を斜に構えて通り過ぎた頃が<br />
随分ともったいない……<br />
猫を抱きしめて嫌がられても<br />
見せたい今年の春がある
</p>
      ]]></content>
    </entry>

    <entry>
      <title>[つくって、食べよう] 復活祭</title>
      <link rel="alternate" type="text/html" href="http://dada-journal.net/cucina/articles/636/?ref=feed" />
      <id>tag:dada-journal.net,2012:cucina/6.636</id>
      <published>2012-04-20T01:00:55Z</published>
      <updated>2012-04-10T02:22:07Z</updated>
      <author>
            <name>編集部</name>
      </author>

      <content type="html"><![CDATA[
<div class="imgbox right"><p>
<a href="/uploads/cucina/b2b9c14a60d65c356de2d8958ed1ed69.jpg" class="lightbox"><img src="/uploads/cucina/cache/b2b9c14a60d65c356de2d8958ed1ed69-260x174.jpg" width="260" height="174"  alt="" /></a></p></div>

<p>　新年度が始まりました。今年は桜の開花が例年より遅れましたが、日に日に色づき生長する花芽を見ると、春が来たなぁと感じます。イタリアで春の到来を告げるイベントと言えば「パスクァ（復活祭）」、イエス・キリストが死後3日目に復活したことを祝う、クリスマスに並ぶキリスト教の祭日です。「春分の後の最初の満月の次の日曜日」と定められており、家族で集まってごちそうを食べるのが定番です。食卓には羊や季節の野菜、そして卵を使った料理が並びます。新しい命、再生を意味する卵はパスクァのシンボルとされており、卵料理はもちろん、卵をかたどったチョコレート菓子も登場します。今年は4月8日がパスクァです。卵とアスパラガスを使った簡単イタリアンで、春の訪れを感じてみてくださいね。</p>

<p>
</p><h2 class="underline">アスパラ卵</h2>

<p><strong>材料（2人分）</strong><br />
アスパラガス 1把、卵 2個、粉チーズ 大さじ3、バター・塩・黒こしょう 各適量</p>

<p><strong>作り方</strong>
</p><ol>
<li>アスパラガスは半分に切ってかために塩ゆでする。</li>
<li>耐熱容器にバターを塗り、粉チーズをまぶす。1を並べ入れ、上からそっと卵を割り入れる。</li>
<li>トースターで約10分、縁がカリッと色づいてくるまで焼く。仕上げに塩と黒こしょう各少々をふりかける。</li>
</ol>

<p>&nbsp;</p>      ]]></content>
    </entry>

    <entry>
      <title>[まち・文化] 一遍上人</title>
      <link rel="alternate" type="text/html" href="http://dada-journal.net/culture/articles/635/?ref=feed" />
      <id>tag:dada-journal.net,2012:culture/2.635</id>
      <published>2012-04-18T01:00:55Z</published>
      <updated>2012-04-10T02:16:21Z</updated>
      <author>
            <name>雲行</name>
      </author>

      <category term="彦根市"
        scheme="http://dada-journal.net/area/c/hikone/"
        label="彦根市" />
      <content type="html"><![CDATA[
<div class="imgbox right"><p>
<a href="/uploads/culture/c708b3f9d0213c051a33245f6473941f.jpg" class="lightbox"><img src="/uploads/culture/cache/c708b3f9d0213c051a33245f6473941f-200x281.jpg" width="200" height="281"  alt="" /></a></p></div>

<p>　「一遍上人」は鎌倉時代中期の僧侶で、現代でもその生き方に憧れる人は多い。<br />
　平治の乱、源平の合戦、承久の乱、天変地異や飢饉……、一遍上人は、仏教を人々救済の為に生かそうとした宗教家の一人だ。「捨ててこそ」のキーワードを思い出す人もいるだろう。<br />
　すべてを捨て去る為に、一遍上人は留まることなく諸国を歩き続けるわけである。「捨てる」為に歩き続ける……。一遍上人は近江も歩いている。<br />
　映画「一遍上人」が、彦根で上映されると聞いた。一遍上人を演じるのはウド鈴木。滋賀県ロケは無かったようだが、上人の生き方がどのように描かれているのか……観たいと思った。<br />
　公式サイトに掲載されているあらすじによると、『一遍上人（ウド鈴木）は、「仏との結縁」を万人に教えるための、遊行を決意をする。その旨を妻の超一（宮下今日子）へ伝えると、超一は、自分も連れて欲しいと頼んだ。一遍は、超一との娘、超二（橘美緒）、念仏坊（スティーブエトウ）を引き連れ、熊野、長野へと遊行の旅に出る。（ー中略ー）三島に到着した一行―。いつものように「踊り念仏」の鐘の音が鳴り始めると念仏を唱え、リズムと共に仏との結縁に陶酔していく民衆のなか、ひとしきり大きな声が劈き、全てを諦めざる終えない悲しみの境地に立たされる―。』<br />
　捨てるということは難しい。そして「捨ててこそ」というその先の境地を僕はまだ知らない。捨てられないのだ。全てを抱え僕は生きるのだと宣言した時代があったから。とにかく、パソコンの写真整理も「どれを残すか」である。「何を捨てるか」と考えた方が楽かもしれない。とにかく、今を生きるために、一遍上人を学び直してもいいと思うのである。まずは、映画から……。</p>

<p>2012年6月2日（土）から彦根ビバシティシネマで上映
</p>
      ]]></content>
    </entry>

    <entry>
      <title>[まち・文化] 神蛙</title>
      <link rel="alternate" type="text/html" href="http://dada-journal.net/culture/articles/634/?ref=feed" />
      <id>tag:dada-journal.net,2012:culture/2.634</id>
      <published>2012-04-16T01:00:55Z</published>
      <updated>2012-04-10T02:14:02Z</updated>
      <author>
            <name>小太郎</name>
      </author>

      <category term="愛荘町"
        scheme="http://dada-journal.net/area/c/aisho/"
        label="愛荘町" />
      <content type="html"><![CDATA[
<div class="imgbox right"><p>
<a href="/uploads/culture/9dcb1d4f1a347ce9c00ca9ef1acc8349.jpg" class="lightbox"><img src="/uploads/culture/cache/9dcb1d4f1a347ce9c00ca9ef1acc8349-260x174.jpg" width="260" height="173"  alt="" /></a></p></div>

<p>　愛荘町軽野辺り……、雨が降ると春が近くなるのだからと、暖かくなればそれだけで全てが変わるはずだと、効果的な努力をすることもないまま道に迷った。年度末の工事で、迂回路の指示を無視して方角だけを頼りに走った結果である。「急がば回れ」、「終わり良ければ全て良し」、僕は「神蛙」に出会うことになった。ほ場整備の完了を示す記念碑である。<br />
　蛙神がこの辺りにはおられるのかと思ったが、「神蛙」である。「蛙神」と「神蛙」は同じようだが、「蛙神」では全てを満たさない。「今後は世界情勢に即応するため、考える（神蛙）農業を創造し、豊かなふるさとづくりに寄与することを念じ祈念碑を刻む。」とある。神蛙の姿に、弥勒菩薩の「半跏思惟像（はんかしゆいぞう）」或いは、「考える人」が思い浮ぶ。どちらを連想するにしろ、田園を背景に「神蛙」の像はお洒落である。<br />
　ところで少し先の話だが、5月20日（日）に「<a href="http://carocaro.shiga-saku.net/" class="external" target="_blank">カロカロ市</a>」という「作家さんによる 手作り市」が、彦根市本町の宗安寺で行われる予定だ。「カロカロ」という音が「ケロケロ」に似ていて思い出したので、忘れないうちに記しておく。<br />
　さて、既に今は春。努力もしないで事態が好転しているはずもなく、ただただ、暖かい日差しがうれしい毎日である。「神蛙」のキャラクターグッズが欲しくなった。「かえるの王さま」以来の、カエル王子さまファンも多い。縁起物としてのカエルも根が強い。ど根性ガエルやケロヨン……。神蛙ことにする。</p>

<p>&nbsp;</p>
      ]]></content>
    </entry>

    <entry>
      <title>[まち・文化] 庭に箒もあてず、樹に木鋏を入れることもせず……</title>
      <link rel="alternate" type="text/html" href="http://dada-journal.net/culture/articles/633/?ref=feed" />
      <id>tag:dada-journal.net,2012:culture/2.633</id>
      <published>2012-04-13T01:00:55Z</published>
      <updated>2012-04-10T02:10:44Z</updated>
      <author>
            <name>小太郎</name>
      </author>

      <category term="彦根市"
        scheme="http://dada-journal.net/area/c/hikone/"
        label="彦根市" />
      <content type="html"><![CDATA[
<div class="imgbox right"><p>
<a href="/uploads/culture/cd3fec5d993aaa470db10719548a7bb1.jpg" class="lightbox"><img src="/uploads/culture/cache/cd3fec5d993aaa470db10719548a7bb1-200x299.jpg" width="200" height="298"  alt="" /></a></p>

<p>五老井の句碑
</p></div><p>
　「五老井」は森川許六の号である。井戸の名前ではない。一般的に「許六」は「きょろく」というが、彦根では「きょりく」と発音するらしい……。<br />
　許六は、明暦2年（1656）8月14日の生まれ。本名を森川百仲といい、禄高300石。通称を五助、五老井・菊阿佛・無々居士を号した彦根藩士である。代々、武術指南役を務める武術の達人だった。屋敷は、彦根のNTTの辺りにあった。現在、『森川許六屋敷跡』の石碑が建っている。<br />
　2年ほど前から許六のファンである。「許六っていいなぁ」と憧れているだけなのだが……。<br />
　「許六」の名は、彦根藩士としてではなく「蕉門十哲」の一人としてよく知られている。「蕉門十哲」とは、芭蕉の門人の代表的な十人のことをいう。<br />
　「許六」の号は「六芸に秀でたる才人」と芭蕉がつけたといわれている。事実、井伊家菩提寺龍潭寺の襖絵（56面）は許六の作と伝わり、剣は正法念流、槍は宝蔵院流の奥義をきわめ、俳諧、書、画、篆刻、彫刻、能、茶にいたるまで多才であり、俳諧は芭蕉が師となり、絵は許六が師となったという逸話も残っている。<br />
　許六の晩年は病床にあり、五老庵で、諷吟、編著に情熱をかたむけ、一日として筆を置くことはなかったという。正徳5年（1715）60歳で亡くなる。</p>

<p>　辞世のうたは<br />
　下手ばかり死ぬる事ぞとおもひしに上手も死ねはくそ上手なり</p>

<p>　臨命終時の句は<br />
　石佛鮨のおもしの始めかな</p>

<p>　許六の墓は、佐和町の長純寺墓地にあり、「五老井無無道無居士菊阿佛」そう彫ってあるらしい……。<br />
　許六は、元禄4年（1691）、「五老庵」を結んだ。彦根市原町、原東山霊園の辺りだ。管理事務所に隣接した植栽のなかに、彦根藩士谷鉄臣の筆によるという句碑がある。</p>

<p>　水すしを　尋ねてみれハ<br />
　柳か那</p>

<p>　許六が記した『五老井記』には、『霊泉があり、水がさらさらと流れているので五老井と名づけた。場所は鳥籠山に近く不知哉川が流れる原のあたり。一座に五人しか座れないほどの庵であるが、庭に箒もあてず、樹に木鋏を入れることもせず、草もあるがままにしている。「風雅のために文画をたのしむ」のこころざしに共感する者が、草庵に遊ぶのを待ち望んでいるが、鳥の鳴き声、蜂や蝶のたわむれだけで、これに応えてくれる者はいない。』（『孤高の才人 五老井許六』石川柊著）<br />
　庭に箒もあてず、樹に木鋏を入れることもせず、草もあるがまま…。森川許六という人は、素晴らしく素敵な人だったのではないだろうか……。<br />
　許六に憧れている。許六はものすごく独りである。春、霊泉があり、水がさらさらと流れる五老井の水すじをたずねてみたい。　　　　</p>

<div class="three cf">
<div class="imgbox left"><p>
<a href="/uploads/culture/cd27dda0056062639028d00583eb16e4.jpg" class="lightbox"><img src="/uploads/culture/cache/cd27dda0056062639028d00583eb16e4-210x141.jpg" width="210" height="140"  alt="" /></a></p></div>
<div class="imgbox left"><p>
<a href="/uploads/culture/3b4043ed92314c13ec96e922406318be.jpg" class="lightbox"><img src="/uploads/culture/cache/3b4043ed92314c13ec96e922406318be-210x141.jpg" width="210" height="140"  alt="" /></a></p></div>
<div class="imgbox left"><p>
<a href="/uploads/culture/475c812cda2742f8731570c9d3817dea.jpg" class="lightbox"><img src="/uploads/culture/cache/475c812cda2742f8731570c9d3817dea-210x141.jpg" width="210" height="140"  alt="" /></a></p></div>
</div>
      ]]></content>
    </entry>

    <entry>
      <title>[お店] Hakmokrenで過ごす時間</title>
      <link rel="alternate" type="text/html" href="http://dada-journal.net/shop/articles/631/?ref=feed" />
      <id>tag:dada-journal.net,2012:shop/4.631</id>
      <published>2012-04-11T01:00:55Z</published>
      <updated>2012-04-10T01:16:05Z</updated>
      <author>
            <name>椰子</name>
      </author>

      <category term="東近江市"
        scheme="http://dada-journal.net/area/c/higashiomi/"
        label="東近江市" />
      <content type="html"><![CDATA[
<div class="imgbox right"><p>
<a href="/uploads/shop/ea94f732d533353e3324bbe27b54da82.jpg" class="lightbox"><img src="/uploads/shop/cache/ea94f732d533353e3324bbe27b54da82-260x195.jpg" width="260" height="195"  alt="" /></a></p></div>

<p>　旧五個荘町に昨年オープンしたカフェギャラリー「Hakmokren」。オーナーの有岡保行さん（62）が、築後200年の商家を、その趣を極力残して改装した。かまどや井戸が残る台所には、有岡さんがコレクションしてきた古い和食器を展示。ギャラリースペースの部屋には、各地からセレクトした陶器、ガラス、木工の作品が並んでいる。そして見晴らしのいい窓があるかつての客室は、カフェとしての空間になっている。<br />
　カップもポットも、ソーサーも、カフェで出されるのはすべて、有岡さんの手がけた陶器だ。長く大学で陶芸を教え、自らも作陶するなかで、ずっと取り組んできたのが食器だった。「手に触れる、口に触れる……人が水を飲む器は焼き物の原点だと考えています。機能的であればいいというものでもない。色や形をうまく取り入れ、小さな世界で遊ぶんです」。</p>

<div class="imgbox right"><p>
<a href="/uploads/shop/001beef5540850afa1d63a3db8a0575b.jpg" class="lightbox"><img src="/uploads/shop/cache/001beef5540850afa1d63a3db8a0575b-260x195.jpg" width="260" height="195"  alt="" /></a></p></div>

<p>　運ばれた紅茶を一口含んで驚いた。ごくシンプルなデザインのカップにくちびるが吸い付くという表現をすれば良いだろうか……。カップの飲み口の厚みが絶妙で、器に口が触れる感触に違和感がない。<br />
　有岡さんは大阪から五個荘に移り住んで10年になる。五個荘の景色を見て回るうち、空き家になっていたこの建物をすっかり気に入ってしまったのだという。<br />
　「例えば敷居や雨戸は傷んだ部分だけ直せるような仕組みになっていたり、虫食いを想定して太い柱にしたり……。贅沢ではない、シンプルで機能的な造りなんです。近江商人のものを大事にする心意気を感じます。住む役割が終わってしまったこの建物で何かできればいいな、というのがお店を始める出発点でした」</p>

<div class="imgbox right"><p>
<a href="/uploads/shop/08657341eb668ecf7b5ffd603962325c.jpg" class="lightbox"><img src="/uploads/shop/cache/08657341eb668ecf7b5ffd603962325c-200x267.jpg" width="200" height="267"  alt="" /></a></p></div>

<p>　有岡さんに「見てください」と言われ、カフェスペースと、それに隣接する部屋とをまたぐ梁を仰いだ。幅の太い立派な梁なのに、カフェの方からはその幅を半分ほどに見せている。隣の部屋は居室（きょしつ）だったそうだ。なぜでしょうと尋ねると「なぜでしょうね。それを考えるのが楽しくて」有岡さんは本当にうれしそうだった。<br />
　梁の謎を話し合ううちに気づいた。有岡さんの器も、展示されている個々の作品も、そしてこの建物も、ものとしてのあり方が似ている。大事にすべきところをきちんと守りながら、どこかにふっと心緩むような仕掛けや隙がある。<br />
　Hakmokrenはカフェとしても、ギャラリーとしても、そして建物を見ているだけでも過ごすことができる、そんな場所である。</p>

<p>
</p><div class="three cf">
<div class="imgbox left"><p>
<a href="/uploads/shop/4141a7148cd3bbe3a367c0b26d3b6092.jpg" class="lightbox"><img src="/uploads/shop/cache/4141a7148cd3bbe3a367c0b26d3b6092-210x158.jpg" width="210" height="158"  alt="" /></a></p></div>
<div class="imgbox left"><p>
<a href="/uploads/shop/2f1bece69d9b7242241e65cfb11263cd.jpg" class="lightbox"><img src="/uploads/shop/cache/2f1bece69d9b7242241e65cfb11263cd-210x158.jpg" width="210" height="158"  alt="" /></a></p></div>
<div class="imgbox left"><p>
<a href="/uploads/shop/91104885966a0b557175f4d6c23ca068.jpg" class="lightbox"><img src="/uploads/shop/cache/91104885966a0b557175f4d6c23ca068-210x158.jpg" width="210" height="158"  alt="" /></a></p></div>
</div>
      ]]></content>
    </entry>

    <entry>
      <title>[まち・文化] 3.11 東北にろうそくのあかりとともに流れた時間</title>
      <link rel="alternate" type="text/html" href="http://dada-journal.net/culture/articles/632/?ref=feed" />
      <id>tag:dada-journal.net,2012:culture/2.632</id>
      <published>2012-04-09T01:00:55Z</published>
      <updated>2012-04-10T02:10:57Z</updated>
      <author>
            <name>編集部</name>
      </author>

      <category term="彦根市"
        scheme="http://dada-journal.net/area/c/hikone/"
        label="彦根市" />
      <content type="html"><![CDATA[
<div class="imgbox right"><p>
<a href="/uploads/culture/067f51c673c6ddaedb76b86c98c725a2.jpg" class="lightbox"><img src="/uploads/culture/cache/067f51c673c6ddaedb76b86c98c725a2-260x195.jpg" width="260" height="195"  alt="" /></a></p></div>

<p>　今年の3月11日を、滋賀県立大学の学生6名は宮城県南三陸町歌津田の浦の小さな漁港で迎えた。<br />
　昨年8月、建築を学ぶ学生たちが、被災した漁港に漁師さんたちの休憩や作業に使う番屋を建てたことがきっかけだった。以来毎月、先生や学生数名が田の浦へ通っている。　秋からは、漁業復興までの間浜の女性たちに仕事をと、学生と田の浦の女性が一緒になり「田の浦ほたてあかりプロジェクト」を立ち上げ、年末には、お寺などから出る和ろうそくの燃え残りと、ホタテの貝殻を組み合わせたエコキャンドル「田の浦ほたてあかり」が誕生した。田の浦の仮設住宅の一室で商品を製造、学生たちが滋賀で営業を行う日々が始まった。</p>

<div class="imgbox right"><p>
<a href="/uploads/culture/48014bcd4f2b92a0225a1072c367721e.jpg" class="lightbox"><img src="/uploads/culture/cache/48014bcd4f2b92a0225a1072c367721e-260x195.jpg" width="260" height="195"  alt="" /></a></p></div>

<p>　だから、3月11日に田の浦漁港でキャンドルナイトをやろうと計画したのも、「復興」や「鎮魂」をうたうのではなく、日ごろお世話になっている田の浦の人たちにキャンドルの明かりのもとで思い思いの時間を過ごして欲しいと思ってのことだった。<br />
　朝、浜で準備を始めると、顔見知りの漁師さんが一人また一人と様子を見に来てくれた。「手伝いがいるんだったら言ってくれれば皆来るからっさ」と、真剣にそう言う。「じゃあ荷物運びを……」とお願いすると、皆に召集をかけてくれ、軽トラックが続々と集結した。看板づくりや設営を手際よくしてくれることはもちろん、何もすることが無くても焚き火を囲んで浜にいてくれたことが嬉しかった。<br />
　雪マークの天気予報に反して青空になった14時半ごろ、浜に人が集まり始めた。花束が抱かれている。ふと見ると海ぎりぎりのところに田の浦の人たちが小さく輪を作っていた。真ん中にほたてあかりが灯されている。お焼香の列に私たちも混ぜていただき、一緒に海へ黙祷をささげた。黙祷後、海を見つめる姿には、それぞれの心に思い出されている1年前の、そして1年間の光景がにじんでいるようだった（私もにじんでいる）。</p>

<div class="imgbox right"><p>
<a href="/uploads/culture/d28cabbd92ccf0ab39c5762c94359200.jpg" class="lightbox"><img src="/uploads/culture/cache/d28cabbd92ccf0ab39c5762c94359200-260x195.jpg" width="260" height="195"  alt="" /></a></p></div>

<p>　日も暮れかけるころ1,000灯のキャンドルが灯り始めた。人工の明かりが一切ない漁港にキャンドルの明かりが浮かび上がる。ゆっくりと時間の流れる1日だった。<br />
　田の浦はこうやって、丁寧に時間を積み重ねてきたのだと思う。そしてこれからも、そうあって欲しい。だからこそ田の浦に、東北に想いをよせる私たちもそのことを忘れないでいたいと思う。<br />
　実は、3月11日までの忙しさのおかげでプロジェクト内には活気があった。それをいいことに、どんどん前を向いて進むことばかりを考えていた自分がいた。震災後、「早いこと」「前進すること」そればかりが前面に出る。<br />
　丁寧に時間を積み重ねる田の浦の人たちの姿勢に今大事にしなければならないものは何かを考えさせられた。<br />
　だから、前に進むことができるのだ。　　</p>

<p><br />
　追伸<br />
　ほたてあかりを支え灯していただいた皆様に、この場を借りてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。そして、これからも息の長いご支援をお願いいたします。</p>

<p class="align-right">
田の浦ほたてあかりプロジェクト<br />
山形 蓮
</p>
      ]]></content>
    </entry>

    <entry>
      <title>[Monologue] No.536</title>
      <link rel="alternate" type="text/html" href="http://dada-journal.net/monologue/articles/630/?ref=feed" />
      <id>tag:dada-journal.net,2012:monologue/10.630</id>
      <published>2012-04-08T00:50:50Z</published>
      <updated>2012-04-10T00:51:52Z</updated>
      <author>
            <name>小太郎</name>
      </author>

      <content type="html"><![CDATA[
<img src="/uploads/monologue/cache/_top536-360x231.jpg" width="360" height="230"  alt="" /><p>この辺りでは何処もかしこも春<br />
僕も春におさまって、やっぱり春の様子<br />
バカボンのパパは　偉大だと改めて思う<br />
これで　いいのだ
</p>
      ]]></content>
    </entry>

    <entry>
      <title>[ソラミミ堂] 淡海宇宙誌 XXII だんだん祈りになっていた</title>
      <link rel="alternate" type="text/html" href="http://dada-journal.net/soramimido/articles/629/?ref=feed" />
      <id>tag:dada-journal.net,2012:soramimido/12.629</id>
      <published>2012-04-06T01:00:15Z</published>
      <updated>2012-03-26T02:10:29Z</updated>
      <author>
            <name>編集部</name>
      </author>

      <content type="html"><![CDATA[
<div class="imgbox right"><p>
<a href="/uploads/soramimido/acc5b7c75523a081e8aa03bc38a08149.jpg" class="lightbox"><img src="/uploads/soramimido/cache/acc5b7c75523a081e8aa03bc38a08149-260x182.jpg" width="260" height="182"  alt="" /></a></p>

<p>イラスト 上田三佳
</p></div>

<p>　3月11日、彦根では、幾千ものろうそくを灯して東北を想う催し、「キャンドルナイト」がありました。<br />
　ひと月も暦が戻ってしまったかのような、風雨と寒さでしたが、あれはおそらく天与のしつらえだったのでしょう。<br />
　あの日に限ってその営みは、ただぬくぬくと幻想的で美しくのみあってはならなかったのです。とりわけ、僕のように想像力の射程の短い者にとっては。<br />
　家族と見物のつもりで訪れたのでしたが、現場で着火器を貸し与えて下さる方があったお陰で、僕もわずかながら広場のろうそくの点火を手伝い、ともし火を捧げることが出来ました。<br />
　「ハッピーバースデーみたい」と娘が言いました。そうあってほしい、と僕も思いました。<br />
　けれど、にわかに降った雨にさらされて濡れてしまったろうそくはなかなか燃えず、やっと点いたと思うそばから風に吹き消されてしまう。縦横に並べられたろうそくに点火しながら少しずつ進んで来たが、振り返ると、灯したはずの一列ぜんぶが消えている。<br />
　灯してはかき消され、点いては立ち消え…。東北を想うとはこれか、と思い知らされました。<br />
　それでもみんな諦めないで、思わず「負けるな」「踏ん張れ」と、一つひとつに小さく声をかけながら、火を灯していく。<br />
　吹き消されても立ち消えても、火を灯す行為が、そのまま祈りなのでした。<br />
　風が吹いても、雨が降っても、いくつ灯った、いくつ消えたと数えることもいつか忘れて、みんなだんだん、澄んだ祈りになっていた。「風景やみんなといっしょに、せはしくせはしく明滅しながら、いかにもたしかにともりつづける」ひとつの祈りのともし火になっていました。</p>

<p><br />
引用: 宮澤賢治「春と修羅」序
</p>      ]]></content>
    </entry>


</feed>
